Open Infomation  141  中東問題解決への考え方(4)

中東問題の解決の考え方として、前回は”宇宙旅行体験”を交えてお伝えさせていただきました。今回はもう少し現実的な中東問題の解決について触れさせていただきます。
”宇宙旅行体験”は、おそらく年齢を問わず科学や宇宙人・宗教的悟性への関心や感度の高い方には、興味を持っていただけたのではないかと思います。こちらの内容は幸福の科学の宇宙分野に精通する講師の方の講演の内容を参考にお届けさせていただきました。詳しく知りたい方は、是非幸福の科学の精舎や支部を訪れてみてください。
”宇宙2私たちが知ることができる世界というのは、無限に広いですね。そしてこの宇宙を創造された救世主、エルカンターレの存在・・・!私は今までに何度も、講演会などで大川隆法氏を見させていただいてますが・・・。どんなに実際の人間の姿を見ても、どうしても人間として受け止めることができません。それは説かれている内容が、あまりに人間離れしているからです。単に多岐にわたるのではなく、基本的な愛の原理や血の原理、反省や発展の原理。こうしたオーソドックスな真理も、救世主の感じていらっしゃるその深さは、まるで銀河の端から端まであるのではないか?と思うほどだからです。神の視点では無限なのだと思いまが・・・。過去や未来を見通す力には、息を呑むような緊張感をも感じさせられます。今回の中東の戦争についても、遺年以上前にかなり明確な警告をされていました。毎回のことですが、本当にその通りになってきています。> <
感性が豊かになると、色彩感覚やバランス感覚が洗練されていきますが、それと同じように悟性というものを人間は持っています。救世主の解かれる真理に出会ってから、モノトーン一色だった世界が、鮮やかに転じるように、悟性を解放され、磨かれたように感じています。いろんなことがわかったり、豊かなインスピレーションを受け取らせていただく事もそうですが・・・。ただ、知れば知るほど、私にとって大川氏のイメージは、もう外見まで人間ではなくなっていきます。超人というか、神そのものですね。実際に創造主でいらっしゃるので当たり前なのですが・・・。宇宙のようです。講演の一瞬の瞬間。どこを見られているのか・・・。と思うこともあります。まるで何億光年もの宇宙を見ているような・・・。あるいは数千年後の未来を見ている様な目に見える瞬間もあります。不思議な、そして何よりも奇跡だと思います。
 
中東問題の内容から外れてしまいましたが、💦中東では目まぐるしいスピードで危機が迫っている様です。中東のオイルが止められれば世界はエネルギーを失います。日本も95パーセントの供給を受けており、オイルショックの再来の危機を目前にしています。今世界が中東やウクライナ・ロシアと和解する事ができるかが深刻な問題となっています。オイルが止まればいずれは、中東側も厳しくなります。その前に米国では618兆ドルのデリバティブの破綻により、リーマンショック以上の金融危機も起きかねないと言われています。そうなれば、核戦争の危機も現実になりかねません。
救世主エル・カンターレは、本当に多くの講演の中で中東の問題について触れられていました。そして既に2021年には、今回の中東での戦争の危機が迫っていることを述べられ、深く憂慮されていました。イスラエルとイランが核戦争になれば、イランは負けるでしょう、しかし一度負けて、日本のように新たな出発をすることも一つだと示唆されました。日本も、戦後は大変な惨状を経験しましたが、大きな時代ごとの目で見れば、戦争を経験することで古い体勢が変わり、成長しました。そして救世主は、イスラム教の「アッラー」として、また、ユダヤの神「エローヒム」として、それぞれの時代を導いてきたことを明かされました。元は同じ教えなのだから、「互いに争うのはやめていただきたい。」と獅子吼され、魂に迫るような強い愛を示されました。おそらく「生まれ変わって、再会を遂げました。あなた方の信仰をずっと受け止めてきましよ。どうか気付いてください。」と、いうお気持ちだったのではないかと思います。
多くの国で、宗教自体が信じられず忘れ去られようとしています。そうした中でも人々が信仰を持ち続け、宗教を中心とした祭政一致の体制であるということだけでも、素晴らしい事だと思います。
アラビア語の「イスラーム」という単語は、「自身の重要な所有物を他者の手に引き渡す」という意味を持つ「aslama(アスラマ)」という動詞の名詞形であり、神への絶対服従を表す。と言われています。パレスチナの人々は重要な故郷をイスラエルの建国のために受け渡されました。地元に住んでいた方々は、大変な苦しみも抱え、本当に大切なものを引き渡されたと思います。そのことに対し、イスラエルの人々が感謝や敬意を示されることは、慰めや癒しだけでなく、人々の魂が絶対的な神への愛として、聖なるものへと昇華される事でしょう。そしてそれは両者の高貴な魂の美しさを引き出すことになるのではないかと思います。
ユダヤ教徒では教育こそが身を守る手段と考え、「国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべき。」とされているようです。一般大衆のほとんどが文盲だった紀元前から、ユダヤ人の共同体では、授業料を無料とする公立学校が存在していたと言われており、ユダヤ人の家庭に生まれてみたかったという人は世界中にいらっしゃるのではないかと思います。また子供でも神の知識があれば神の知識のない老人よりも優れているとされています。この事が、学問を神の叡智が生きずく真理として身につけ、世界的な影響力を持つ人材を輩出されているのではないかと思います。
 
さらに、米国がこの戦いに加わろうとされています。米国にとっては9.11の傷がまだ残っている面もあるかもしれません。しかし文明社会が、「宗教はテロだ」という印象を払拭できなければ、本当の意味での民主主義は世界から姿を消すことになるでしょう。救世主が、近年最も訴えられていたことは、「神のもとの民主主義」です。多数派の意見が、堕落し悪い方に傾いてしまうと、民主主義は国家の自滅を招きかねません。一人一人が、神の子としてその高貴な魂を発揮し、人生を輝かせる。そのような集団における民主主義を求められていたのではないかと思います。そして、「神のもとの民主主義」というのは、イスラム諸国の信仰姿勢や祭政一致の姿勢を、世界が学ぶことになるでしょう。また一方で、イスラム諸国には、さらに民主主義的な価値観を学ぶことで、時代や世界と協調することができるでしょう。米国は過去の傷を乗り越え、両国を導く存在になれるか?それとも一緒に埋もれて世界大戦への道を進むのか?という帰路に立っているのかもしれません。
イスラエルやロシアは、かつて共産主義的な社会改革思想に基づく政治体制の時代を経験されてきました。しかしユダヤ教やロシア正教を支柱とし、資本主義経済を成長させてきたことで、民主的になりつつあるると言われています。両国は、戦争によって他から奪い、周囲を脅かす存在になるのか、それとも周囲を支えるような存在になるのか?真に「神のもとの民主主義」に近づいているのかが問われているのかもしれません。
そして、もしかしたらこの戦争は世界を本当に「神のもとの民主主義」へと脱皮させようとしているのかもしれません。この地球が、戦争という苦しみの脱皮を遂げて美しい蝶となって宇宙時代の扉を開き、羽ばたいていくことができるか?あるいはぶつかり合ったまま自滅してしまうのか?私たちは、各国が力を尽くして前者を選び取っていく事を、心から願い、祈っています。
それでは以下で前回に続き、本年の方針が示された大川隆法著「地獄の法」より、最終章の救世主のメッセージからお届けします。
 
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The Laws of Hell  地獄の法

要するに、「罪が軽くて、浮くべくして水よりも上に浮いてくる者は天国に行くけれども、石のように比重が重くて、罪が重い者は沈むべくして池の底に沈む」ということです。これは、「火を焚いたり先祖に祈ったりするだけで救われはしない」と言っているわけです。オールマイティーな教えではありませんけれども、ある意味での本質的な教えではあろうと思うのです。現代の新宗教でも間違ったものは、ほとんど、ここのろで引っ掛かっています。

仏陀の教えから見て先祖供養や題目・念仏等の間違いはどこにあるか
・「先祖供養さえすれば修行は要らない」とする宗教の問題
言いにくいのですけれども、有名な作家で政治家もやったような方が信仰していた宗教もあります。その方はそこで百万票以上もらっていたようですけれども、そこは先祖供養ばかりやるところです。(『霊友会』 邪教だと知ってますか。)
「先祖供養自体が悪い」とは私は思ってはいませんが、要するに、自分が悪いことを、「先祖が不成仏だから、悪いことばかり起きて事業に成功しないんだ」とか、「家族が不和になる」とか、「病気で死んだ」とか、「事故で死んだりする」とか言って全部を先祖のせいにだけして、「先祖供養さえしていれば、もう修行はあと要らない」というわけです。「それさえしていればいい」というのだったら、先祖供養自体が悪いとは言わないけれども、やはり間違いになります。本人としての「思い」と「行い」について、まったく責任を問われないからです。 「先祖供養をもっとやれ」と言うだけだからです。

・日蓮宗系や真宗系に潜む「悪」への誘惑や「犯罪」に対しての間違い
あるいは日蓮宗系とかでもいろいろあります。いろいろな宗派があるから一概に言えないのですけれども、正しく理解しているところもあるし、そうでないところもあると思うのです。
争い事から破産・倒産から殺人事件まで、何でもいいですけれども、「何が起きても、「南無妙法蓮華経』だ。 『南無妙法蓮華経』を唱えただけで、全部それが救われる」というのではちょっと易すぎるから、「それはまだ読み方が足りないんだ。百万回読みなさい」というところもあります。百万回「南無妙法蓮華経」というのは、なかなかの修行にはなります。百万回数えながら「南無妙法蓮華経」を読むとなったら、そうとうなエネルギーと労力を必要としますから、これで全部解決させてしまうところもありますが、「若干、嘘がある」と言わざるをえません。
「南無妙法蓮華経」のなかの「南無」は「帰依する」という意味ですから、「法
華経」「法蓮華経」に帰依するということです。この「蓮華経」というのは、仏陀の教えで、「この世の中は醜くて汚い。要するに、酒の底、泥の底のような汚い世界だ。でも、その汚い材料のなかから、運はスーッと茎を伸ばす。泥池のなかからでもスーッと茎を伸ばして水面から脱したときには、本当に天国のような、真っ白なきれいな花を咲かせる。潔白な花を咲かせる」というものです。そういうふうに、「この濁世の世、乱れた汚い世の中にあって、心を穢されずに生きて、見事に蓮の花を咲かせなさい」という教えを要約したのが「南無妙法蓮華経」であるわけです。
そういうことを言っているわけで、それを理解しての「南無妙法蓮華経」なら間違ってはいないわけです。

「この世の中は、もう泥池のような、泥沼のような、沼地みたいな世の中だ。
『そんな穢れた世の中だ』ということを知れ、見よ。
苦しみの世界であるということを見なさい。
悲しみの世界であるということを見なさい。
しかし、そのなかからでも、蓮の花は咲かせられるのだ。
それこそが仏法修行なのだ。
そういうことを、いつも心に思って生きなさい。
正しき正法に帰依するという意味はこういうことだ」

そう思ったら、世の中に、いろいろな悪への誘惑はいっぱいあるし、自分を堕落させるための誘惑はもう山のようにありますが、「そのなかから、それに染まり切らないで、真っ白な花を咲かせる。 見事な蓮の花を咲かせる。そういう人生を目指しなさい」と言っているわけです。これはある意味では、仏教の真髄を上手に要約した言葉であるので、そこまでの理解がちゃんと落ちていれば、別に構わないのです。
また、別のほうの、真宗系であれば、「南無妙法蓮華経」ではなくて「南無阿弥陀仏」ということになります。「南無」は「帰命する」という意味ですから、「自分は阿弥陀仏に帰依します」ということです。
この「阿弥陀仏」というのは、救いを与えてくれる、お釈迦様の「救い」の面、「慈悲」の面を強調した部分です。眼をだから、本当に阿弥陀の御胸に抱かれて、自分のすべてを捨てて阿弥陀に帰一する。そのなかに帰命する。命を投げ込んで阿弥陀と一体になる。阿弥陀の気持ちと一体になって、阿弥陀を念ずるわけです。念仏のもともとの考え方では、「南無阿弥陀仏」と口で言うことが念仏ではありません。念仏のもとの言い方は、「仏を念う」と書いてあるように、仏を心のなかに描いて、そして観想する、心のなかで念うことを「念仏」と言うのです。ただ、それがなかなかできなくて難しいから、「御本尊」というようなものをいろいろなところでつくっています。
仏像であったり、仏画であったり、いろいろとそれに代わるものがあります。 「御本尊」というのもあって、それに心の波長を合わせて、仏様と一体になれるように願うわけです。「罪多き自分ではあるけれども、仏にすべてを委ねます。御心に任せます」ということで、仏と一体になる。瞑想して、要するに、「心のなかで仏の姿をありありと描いて、仏と一体になることを願うことで極楽往生を思う」ということです。これは間違っているわけではないのです。この考え自体は間違っているわけではないのです。ただ、これを悪用して、「どんな犯罪を犯しても、『南無阿弥陀仏』を言っただけで、もう救われる」とか、「もう、思っただけで救われる」とかあまり言いすぎると、これはちょっと間違いになるかもしれません。
「バットマンの敵であるジョーカーのような、ピエロの面を被って機関銃を持った男が、銀行強盗をいっぱいして、人を殺しまくって、お金をいっぱい盗んで、積みして、それに火をつけて燃やして、犯罪をしまくっても、「南無阿弥陀仏」と言ったら、もうそれで救われるからいいんだ」などと、こんなふうに持っていかれたら、これはやはり間違いでしょう。犯罪の勧めに、この「南無阿弥陀仏」を使われたら、やはり宗教としては間違いということになります。

小説「蜘蛛の糸」に描かれる、「救いが〝無"になる場合」とは
罪多き自分であるけれども、心を入れ替えてクラッと変える―。これを「心」といいます。思いをクラッと仏のほうに向けて、「仏様の大慈悲に抱かれるような自分になりたい」ということで、「今後の人生を改めていきたい」と強く願って信仰する。日々、心のなかに仏の姿を描く。念仏というのは、そういうことです。
 

 
真理に触れるショート動画(英語)
【LOVE】Things to Know Before you Die【The Fourfold Path】
【WISDOM】Things to Know Before you Die【The Fourfold Path】
【SELF-REFLECTION】Things to Know Before you Die【The Fourfold Path】
【PROGRESS】Things to Know Before you Die【The Fourfold Path】
Profile of Master Ryuho Okawa
”The Choice of Humankind"(Excerpt Version)

真理に触れるショート動画(日本語)
【死ぬまでに知っておきたい④】「発展」の大切さ
【死ぬまでに知っておきたい②】「知」の大切さ
【死ぬまでに知っておきたい①】「愛」の大切さ
【死ぬまでに知っておきたい③】「反省」の大切さ

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Happy Science Movie 動画
Who is El Cantare?/ 幸福の科学の神、エル・カンターレとは?

幸福の科学のラジオ番組
天使のモーニングコールより
「創造主エル・カンターレとは何か?」(22:36)
 
映画でも学べる真理
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