プロジェクトの開始に向けて1

想いが実現する世界
 
プロジェクトの準備を進める中で、アクシデントが起きました。滞在先のレジデンスのキッチンに素晴らしい切れ味のナイフがありました。あまりに切れ味が良いので、「指を切りそうだな」とその光景が浮かんだ瞬間に、左手の爪と一部の肉片がなくなっていました。ナイフに厚みがあり、日本の包丁と同じように使うと、勢いがついて危険でした。しかし、気が付いたら日本の包丁と同じ感覚で使ってしまっていました。

数日後にまた、ふと「このナイフは危険だ。」と注意の意味で思いました。手を切って血が流れる光景が浮かんだ瞬間に、悲鳴を上げていました。近くの部屋の方が驚かれていましたら、申し訳ありません。今度は右手の親指と人差し指の間がパックリ避けて血が流れました。慌てて傷口を塞いで布で縛りましたが、なかなか血が止まりません。夜だったので病院に行く気になれず、血が止まることを願って、早めに休みました。

深夜に血管に血が流れる音で目が覚めました。強く縛っていたので、血は流れてきていませんでしたが、裂けた傷口が塞がるのか心配でした。もし傷口が塞がらず血が止まらなかったら・・・。と思うと眠れず・・・。指と指の境目だし、傷口の長さが3センチ以上あるので、通常なら縫わなければならないのでは・・・と思うと不安が増しました。

そしてなぜ切ってしまったのか・・・。と振り返ると、「自分の心に「切る心」があったのではないか?」といろんなことを思い出しました。人は同じ間違いを繰り返すということを考えると、以前にも似たようなことがあったな。と次々と思い出しました。そしていくつか気が付いたことがありました。
その中でもプロジェクトに関係する2つの事がありました。1つはプロジェクトが人々にもたらす感情についてです。現代人の多くの人々が宗教を忘れつつあることを、プロジェクトとしても“人類の抱える重大な課題“だと捉えてきました。しかし、その中には、宗教に関わっていない人々が切られるような「分断」があったのではないかと思いました。丁度、今日自分が書いていた文書に、「たとえ少数派になったとしても、神を信じる人々と進めなければならないと思って・・・」という内容があったことを思い出しました。

もちろん、全ての人に幸せになってほしいということが、プロジェクトの動機です。しかし、多くの人々の立場に立てば、「宗教に入っていなかったら私たちはダメなのか?」と言う風にも受け取る事も出来ます。しかし、宗教に入会していない人でも、宗教の考え方を理解していたり、実践している事もあります。宗教活動をしていなくても、神様を信じている人もいます。

日本では元旦の夜から明け方にかけて、今でも初詣に行く人が神社に溢れます。賽銭を入れて新たな一年への願いや祈りを捧げますが、全く信じていなかったら寒い季節にわざわざ出かけて、祈ることもしないでしょう。どんなに宗教が忘れられる時代になっても、日本人は、ほとんどの人が一生に一度は、参拝しているのではないかと思います。それは、ご利益信仰と言う見方もあるかもしれません。しかし、家族の健康や安全を願ったり、「戦争や災害が鎮まり平和でありますように。」という願いや祈りに、神の愛を信じる純粋さが、全くないとは言い切れません。そう考えると、私たちの発信は、このような人々の立場を切るような面がなかっただろうか。と思うと、涙が溢れました。

自分たちにはそのような気持ちはなく、ただ多くの人々に幸せになってほしいのです。心から幸せな人が増えて輝いていく世界を求めています。しかし、感じ方は人によって違います。また仕事の立場上、あまり宗教のことに接触できない人もいます。例えばマスメディアや教育などの分野でも、個人的な考えを伝えることが出来ないために、ストレスを抱えていらっしゃる人もいるでしょう。様々な立場で正しいと思うことが言えない状況にある方もいらっしゃるでしょう。

そうした人々の切り裂かれるような想いが、自分の切れた手の傷口の痛みと重なって、涙が止まらなくなりました。そして心からお詫びしました。そして、「もしも許されるなら、この傷を塞いでプロジェクトを続けさせてください。」と何度も主に祈りました。
大聖堂の建設は、宗教のイメージを刷新するためです。宗教を苦手だと思っている人や、必要ないと感じている人を、否定するためではありません。そうした人々をも愛し、太陽のように、ただただ与え見守り続けているのが、神様であり宗教です。

そして世界がAIに支配される未来や、地球の戦争・文明崩壊の危機を食い止めるだけでなく、愛のエネルギーが循環する霊性の時代を迎えるためには、宗教的真理が必要です。ギリシャやフィレンツェの芸術家、自然科学者達が西洋の文化芸術を開花させた時代には、宗教は人間の魂の栄養として、学問の中心に置かれていました。宗教が未来を切り開くダイヤモンドの原石として、大切に磨かれ愛されていました。

また、宗教は古くて未熟な文明のものという事はありません。かつて存在したアトランティス文明の興隆期にも、宗教が中心となり文明の進化と繁栄をもたらしたと言われています。現代よりもはるかに科学技術が進んでいました。また、ワープやタイムスリップなど、宇宙航行ができるような科学の進化の為にも、霊界のエネルギーや神の愛のエネルギーといった発想が必要とされます。このように、宗教に対する捉え方を、“新たな創造“や“愛や美の循環“ “未来と宇宙を開く扉“ へと一新する必要があるということです。

その意味でも、「本当に宗教が必要とされる時代だ。」とより強く感じました。そして、自分の心の奥に潜んでいた「切るような心」を反省しました。プロジェクトの規模が大きくなればなるほど、この傷の大きさのように、責任や発言・判断の重みも増す。ということも身にしみて感じました。

翌日、布を外して傷口を見てみると、血が止まって傷口がくっついていました。3センチの絆創膏の中心部から、傷口が少しはみ出ましたが、それを貼るだけで済みました。

もう一つの気づきは、また次回、このページに追加します。

そして2つ目に気が付いた事は、「霊界のビジョンが実現する速度の速さを思い知らされた。」ということです。
 
「霊速」という言葉に示されるように、霊界では3次元の時間を超えるようなスピードで物事が実現しています。一瞬でもダメかもしれない。と思えば、そのような現実がすぐに現れてくると言うことです。これは戦争などでも、日常の中であることだと思います。戦争や災害・インフレといった様々な危機で、地球全体が重々しくなっている現実。それが、よりマイナスのエネルギーを加速させていると言うことです。まるで映画の中のストーリーのような事が、現実に起きてきているのかもしれません。幸福の科学の大川総裁も、地上が地獄的になりつつあることを懸念されていました。地球がマイナスの方向に向かって霊的になり、霊速で変化する。それが核戦争や天変地異について言及された「その日は突然やって来る。準備する時間を与えない。」という事かもしれません。
 
私はこの数ヶ月で、様々な国を訪れましたが、戦争に関係していない国でも、インフレの影響が出ていました。インフレの影響の世界ランキングを見てみると、戦争に関わっている国でも、あまり影響が出ていない国もあります。また関わっていない国が上位に多くありました。どの国を訪れても、道や駅で、お金を求める人に出会いました。しかし、ほとんどわたすことができませんでした。一昨日も駅で求められましたが、両手が荷物で塞がっていて、断りました。飢餓に苦しむ地域では、死者が増え、さらに厳しい環境が迫っているでしょう。
こうした地球環境の中で、私もこれほどマイナスの循環が加速していることに、気が付かないまま過ごしていました。もちろん戦争が終結することも必要でしょう。しかしそれだけでなく、地球上に生きる私たち一人一人が、自分の心を統御することを切実に求められる時代になったのかもしれません。昨年には幸福の科学の方針書として、「地獄の法」という書籍が発刊されました。地獄とは死後の世界に存在するものとされています。しかし現代は地球上そのものが、地獄化しつつあるという警鐘が鳴らされました。これまでの私自身の想いも反省しました。今までであれば、このようなナイフを見ても、本当に手が切れるイメージを持つことはありませんでした。無意識的に保守的になり、危機感が強くなっていたかもしれません。
 
霊界では3次元の時間を超えるようなスピードで物事が実現していますが、プラスの物事に対しても言える事です。私は、大聖堂のプロジェクトを世界の人々に求められるようになるには、長い時間が必要だと思っていました。しかし、そのビジョンはもっと早く実現しつつあるということにも気がつきました。それは災害という形で、神の意志が働いたという見方もできますし、それによって人々が変化しつつあると感じました。
 
日本では1月に能登半島で地震が発生しました。被災した人々は、凍える寒さと物資が不足する環境の中で生き延びなければならないと言う過酷な現実を体験されました。人間にはどうする事もできない自然の脅威の中で、全てを手放すしかなくなりました。被害を受けて家族を失った人。自分の家や持ち物を失った人。未来への希望を失いそうになった人もいるでしょう。しかし、その中で自分が握りしめていたものを手放した時に、「真実に出会った人」「大いなる存在を信じた」という人もいるのではないでしょうか。人間が自分たちで世界を動かしているのではなく、神様の生命、あるいは宇宙の生命の一部として生かされている存在であること。また、災害の中に天意を感じ、人類が神を忘れつつあることの危機を感じた人もいらっしゃるでしょう。
 
 
FNSプライムオンラインより 2024年01月

それは私の感じたインスピレーションだけでなく、実際に、祈っている人々の写真や、人々の様子を動画でも見ました。想像していたよりも早く、本当に宗教を必要だと感じる人が増え続けていたのです。それは統計や宗教への入信者数ではなく、心の中に「宗教が必要だという気持ちが芽生えた。」「人間が愛を与え合って行くことは大切だ。」「戦争が終わりみんなが幸福であってほしい。」という人々の切なる想いです。そうした人類全体の想いを集めれば、瞬く間にその現実を引き寄せるでしょう。そしてその想いに、信じる気持ちや愛のエネルギーといったスピリチュアルな要素が強ければ、霊速で新たな未来が展開するでしょう。

 

“宇宙時代を切り開く鍵“でもある真理があります。それは「霊的な自己が5割を超えると人生が変わる」ということです。それは大川総裁の公演の中で、このように説かれています。「世の中の人々は“心の力“というものをあまりにも小さく捉え過ぎています。気持ちの問題とかちょっとした気分の問題とかその程度に考えていることが多いようです。しかしそのように思っているうちは、その人がまだこの世的な人間であることを意味しています。そういう人は、たとえ信仰を持っていたとしても霊的な自己というものをまだ10%か20%・30%ぐらいしか理解していない可能性が高いのです。」ということです。

 

自分の心に描いている現実が今、実現している。しかも信じる度合いによってそのスピードは早まっている。それはマイナス側だけでなくプラスの想いや未来への心に集中していくことも実現するということです。善悪やプラスとマイナスが隣り合わせにある地球の分岐点にある。ということを思い知りました。そして「もしも許されるなら、本プロジェクトを通じ、より一層プラスのエネルギーを循環させることをお許しください。」そんな気持ちで祈りました。夜が開けると、透明感のある美しい空が広がっていました。

私は自分の手を切って、やっと気が付いたのですが、当然皆様はそんな必要はありません。最近何か上手くいかないなとか、疲れたり、ネガティブな感情を持ちやすくなっていないか?1日のうちでどのくらい明るく幸せな気持ちでいるか?そして、もしネガティブな感情が増えているとしたら、心をコントロールしていただきたいと願います。自分に対しても周囲に対しても、ネガティブな想いが出ていると、全て自分に返ってきてしまいます。自己否定や憎しみ苦しみ、疑い、裁き、恐れ、怒り、嫉妬や妬みなどの心です。無意識的であったり、たとえ一瞬でも・・・。

 

そうではなく、あなたが最も明るく幸せな気持ちでいる時。あなたの心が家族や他の人を愛する想いが溢れている時。他の人や多くの人々の為に役立ちたい。そんな気持ちで心が満たされている時が、本当のあなたです。どうかあなたの家族や、友人や職場の仲間のために、そしてあなた自身のために、ポジティブな愛のエネルギーを循環させていただきたいと願います。私は、この数カ月の間に、どの国でも親切な方々のお声がけや、サポートをいただきました。それは天使や女神かと思うような優しさや愛に満ちていました。世界にはプラスのエネルギーもマイナスのエネルギーも両方が存在しています。

私たちが各国や企業のリーダーの皆様にこのプロジェクトをご提案してきたのは、皆様が各国の未来を変える影響力をお持ちだからです。それだけ大きな国や企業の命運を背負っていらっしゃるからです。戦争の終結は、戦場の兵士の命はもちろん、インフレの影響や生活難・食糧不足で命を失いかけている人々を、事実として救うことにもなります。世界はつながっています。インターネットによって、悲しみのニュースは瞬く間に世界中に広がる時代になりました。しかしその人々が命を落とすのではなく、新たな人生を創造し、喜びを広げることになれば、どれだけ多くの幸せが生まれるでしょう。瞬く間に愛のエネルギーは連鎖し、呼応し、循環して行くことでしょう。

 

 このような世界の未来を左右する影響力を持たれ、責任を背負っていらっしゃる皆様にこそ、是非とも悪魔の囁きではなく神の助けや、神の愛の導きを受け取っていただきたいのです。神様だけでなく、目に見えない世界の天使や高級霊達も、必死で動かれています。そのインスピレーションを受け取った地上の人間が、行動し刻々と世界は変化しています。まさに霊速で物事が変化しているということでしょう。大川総裁は、将来的に地球の人口が40億人ほどになることも示唆されていました。約半分です。それが核戦争によって起きるのか、天変地異によって起きるのか?あるいはその未来を変えることができるのか?それは各国のリーダーと私達一人一人の心にかかっています。プラスの方向に向かってリーダーの意思決定が国民を守るものであってほしいと願います。また一方で、プラスの方向に向かって一人一人の民意がリーダーを支えるものになることを願います。

この「想いが実現する世界が今ここに展開している」という事を、私は手の傷によって思い知りました。そして世界の人々と共に私達自身が心に描くイメージやビジョンを、より良いものにしていかなければならないと感じています。
重積を担う皆様でいらっしゃればこそ、より一層、心を統御されることで、世界を導く光として輝かれるのではないかと思います。皆様の決断が世界を動かす分岐点となることでしょう。私達は、その皆様が地球の未来への決断をされ、実行される機会を形にして参ります。
 
 
 
プロジェクトに関する3つのお知らせ
 
■直接申し込みについて
3月27日からのお申し込みについて、直接申し込みの機会を検討しています。ポーランドのホテルを予定しております。詳細は、改めてご案内差し上げます。
 
■申し込み条件について
お申し込みの条件は、戦争や制裁のの終結が条件となります。ただし、公式な最終決定として発表された時点で、可能と致します。
 
■軍事プロジェクトのご希望について
3月19日の午前に、ポーランドのホテルにて、軍事プロジェクトのご提案を予定しておりました。その情報を知り、20日にもお待ちいただいていた方がいらっしゃいましたら、お伝えさせていただきます。(20日は予定しておりませんでしたが、何名かの方をお見かけしました。)
各国と企業のプロジェクトのお申し込みは3月27日21時(日本時間)13時(ポーランド時間)となります。軍事プロジェクトをご希望の場合は、事前に申し込みが可能ですが、その場合はアポイントが必要となります。ご希望でしたら遠慮なくお声がけください。

“最終決戦の日は近づきつつある・・・“  大川隆法著「地獄の法」より

最後に、大川隆法著「地獄の法」の書籍の内容を転記させていただきます。
最終章の “最終決戦の日は近づきつつあるように思いますが・・・” 以降の抜粋です。

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・・・そのための「最終決戦の日」は近づきつつあるように思いますが、残念ながら、光の勢力はまだまだ弱すぎて、悪の勢力がいつの間にか地下茎のように地面の下で広がっていることに対して、とても残念な気持ちでいっぱいです。
 
「神は死んだ」と言ったニーチェの本なども初版四十部とか百部とかを自費出版したレベルであったのに、いつの間にか、マスコミもその拡散の道具に使われて、あるいは教育も使われて、世界中にいろいろなかたちで浸透してきております。哲学も科学も「神は死んだ」ということを前提にしてつくられていくならば、あらゆる学問体系も同じようになっていきます。こういう地上になり、もはや思想戦で引っ繰り返すことができなかったら、人類の絶滅もありえるということです。
それはかつてのアトランティスやムーやレムリア(ラムディア)で起きたことと同じことですが、最終的にそこまで行くこともあるということです。 わずか一万年余り前にそういうことも起きましたので、今も起きないわけではないという「余り前にそのいうことも起きましたので、今も起きことです。その日は突然にやって来ます。 突然にやって来て、人間たちに準備をさせないことになるだろうと思います。だから、みなさまがたに言いたいことは、「力を尽くして、今、生きている寿命のなかで、やれるだけのことをやっていただきたい」ということです。
では、何をやっていただきたいのかということを明確に言うとしましょう。それを明確化するとするならば、今、現代においては、「エル・カンターレ信仰」というものをキチッと立ててもらいたいと思います。それは、日本だけでなく世界各地にキチッとエル・カンターレ信仰を立てるということです。「このエル・カンターレと今呼ばれているものが、かつて地球の造物主だったアルファであり、この地上に善悪を立てたエローヒムであるということ、そして、今、地球の最終危機と戦おうとしている存在であるということ」を信じることです。これを立てていただきたい。
「正しき心の探究」としての「現代の四正道」を実践せよそうした信仰心を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の「探究」といいます。そして、その「正しき心の探究」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。

愛ー「奪う愛」から「与える愛」へとパラダイムシフトを

まずは「愛」の教えですが、この考え方がほとんどの場合、誤解されています。「愛とは他人から奪うもの、もらうもの」とばかり考えている人が増えています。この考え方は共産主義のなかにも蔓延しております。 共産主義の場合は、経済的な意味が多く、「持てる者から収奪して、持てない者がそれを奪う」というかたちですけれども、考え方に誤りがあると思います。

人がこの世に生まれるのは、やはり、その人の努力や実績というものを通して魂的に向上させることが目的ですから、いわゆる「働かずして、人が汗水を垂らして手に入れたものを奪い取る」「システム的に奪い取る」ということはよいことではありませんし、本人たちを堕落させることにもなりかねません。

もう一つは、自由主義社会といわれるなかにある「社会福祉主義」です。これらも、一定の人類の知恵として福祉思想があること自体まで否定しているわけではありませんが、結果的には共産主義の代わりになって不平不満を吸収するためだけに、そういうふうになっていることもあります。ですから、これは、神仏の力を使わずしても、この世において、国家が財政破綻し、国が崩壊していくきっかけにもなっていると思います。

この日本という国においても、国民が納める税金の二倍の金を政府が使い続けているという状態です。これが何を意味するかということですが、「いずれかの時点で国家が破綻する」ということを意味しています。これは、アメリカにおいてもEUの大部分の国においてもそうだし、アジアやアフリカの貧しい国においてもすでに起きていることです。

まず結論は、「足るを知る」ということで、自分の働きに見合った生活をすることを考えていかねばならないということです。

愛を「奪う愛」から「与える愛」へとパラダイムシフトしていくことが大事であるということだし、この「与える愛」こそ、神仏が人類を生かしめてきた力なのだということです。あの太陽の光のように、あまねく光を降り注ぐ、その一翼を担うということが、人類の行ずべき「愛」という言葉の意味になります。

知―霊的な真実に裏打ちされた「仏法真理」を学ばなければ、魂の向上にならない
それから、「愛・知・反省・発展」の「知」は何かということですけれども、これは「仏法真理」のことであって、本当の世界観や霊的な真実、神仏の教え、こういうものに裏打ちされた知識でなければ、この世で学んでも魂の向上にはならないということです。
だから、「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、違っていると言わざるをえないし、「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえも知らない人類」というのは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているのかを知らない人間」と同じです。
それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしているということであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです。

 
・反省―犯した罪や思い、行いを振り返り、心を磨く
さらに、「反省」という言葉を述べております。
人は地獄に堕ちることがあります。仏法真理に反した生き方をしたときに、地獄に堕ちます。
ただ、そのときに、いたずらに反逆心を起こして、神への反抗に加担するだであってはならないということです。自分自身が、自分自身の犯した罪や思い、行いを振り返り、反省することによって、心を磨いて天上界に還っていくという機能を与えられているのです。だから、その力を、もう一度、取り戻してほしいと思います。 それを、生きていくうちの学習の中心軸に置いてほしいと思っています。を・発展―徳を積んだ者が多くの人たちを導いていける。
発展ー徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、ユートピアづくりを
そして、最後に「発展」という言葉が来ますけれども、この発展のなかには「ユートピアづくり」ということも入っています。ユートピアづくりは、いろいろな思想のなかで述べられていることではありますけれども、「ユートピアなのか、ディストピアなのか」ということを峻別できないようでは駄目です。ジョージ・オーウェルの『1984年』や『動物農場』に書かれているような、そういう社会をユートピアと考えてはなりません。この地上において修行し、徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、そういう国や社会を目指していただきたいと思います。

いやしくも、人の上に立つ者が、嘘偽りを駆使し、そして、お金や地位や名誉を利用して、人々を扇動する力でもって権力をつくっているということは許しがたいことだし、陰謀によって世の中を自由に動かすということも問題外だし、ましてや、マスコミを使って誤った情報のほうに人々を誘導して、全員を海のなかに突き落とすようなことがあってはならないと思います。
本来のユートピア社会は、霊天上界とも調和できるものでなければなりません。マスコミの原理が、「疑い」「疑」ということを中心に発展しすぎていることに対して、たいへん悲しみを感じております。また、この世における知識の獲得を一つの身分制として、現代、民主主義社会のなかにおける身分制社会として、知の獲得をもってそれに代替していることが流行ってきておりますけれども、その「知識を得る」ということは、「智慧を得る」ということと必ずしも同じことではありません。
知識のなかにおいて、ダイヤモンドの光を宿しているものを選び出すこと、そして、そうした本物の知識に、「人生修行」という名の経験を通すことによって智慧をつくり出していくこと――これが大事なことです。これなくして、単なる点数とか偏差値とかいうようなもので、学歴主義で、人々を統治階級に上げるか上げないかを決めて、その偏差値でもって、生まれつきの貴族のごとく、人々を見下したり、支配したり、命令したりする根拠とすることは、残念ながら、「天上界的なものではない」と言わざるをえません。それは一つの迷妄だというふうに考えられます。
(中略)

四正道で、唯物論やこの世的な科学主義ではない、よりよい社会をつくる努力を

ですから、虚心坦懐に考えて、「神仏の心を心として生きているかどうか。
「神仏の智慧を自分の智慧としているかどうか」、
そういうことを謙虚に反省しながら努力していく人たちが、
数多くの智慧を増やして、人々を導くことが大事です。
そういう世界のなかに、
愛が溢れ、
自分の間違いを認め、
真理を学習し合い、
よりよい社会をつくっていこうと努力することが大事であって、
その行く先は、
唯物論や、この世的な意味に限られた科学主義ではないということです。
いくら科学が進んだとしても、まだ生命の神秘は解けていません。
なぜ、土のなかの小さな卵が地上に出てきて、
カブトムシ・やクワガタムシになるのか。
それさえ十分に分かりません。
なぜ、人体が出来上がってくるのか。
なぜ、体のなかの内臓が、それぞれの使命を果たすのか。
自分でつくったわけでもないのに、
脳内の組織がいろいろな機能を持っているのはなぜなのか。
DNAというものを解明したところで、
なぜ、そういうものができているのか。
人類にはそれを明らかにすることができません。
愚かな科学者には、
「DNAこそ魂の正体だ」と言っている者もあります。
そして、「親、子、孫とDNAがつながっていくことが、ちいさ
魂の転生輪廻と同じことだ」
というふうに考える者もありますが、
実に、「宗教的な無知が、現代において違うかたちで表現された」
というふうに言わざるをえないと思います。
 
「地球を魂修行の場として維持したい」という希望
「真・善・美」の世界を打ち立てることこそ、地上でのユートピアづくり
「来世以降も、この地球というものを、
多くの魂の転生輪廻の場として、
修行の場として、使えるように維持したい」
ということであり、
また、「この地球が、宇宙から見て、魂修行の場として、世界だ
極めて好まれている場所である」ということを、
多くの人たちに理解してほしいというふうに思います。
できれば、すべてのことを通して、
この地上に善なる世界を打ち立てることが大事だと思うし、
「真・善・美」の世界、
真なる世界であり、
善なる世界であり、
美なる世界を打ち立てることこそ、
地上でのユートピアづくりになるということだと思います。
ただ、この地上のユートピアは、決して、
永遠にこの地上に魂が執着するためのユートピアであってはなりません。
いずれ肉体を去り、あの世においては、食物も食べない、
お互いに手を握り合うこともできないような世界に移行します。
「そうした幻影のような世界に移行するが、
それが実体の世界であるのだ」ということを理解するところまで、
人間は賢くなければならないと思っています。
地獄界の増大と悪の蔓延のなかで、
「一人ひとりの心を救う」という大きな使命を各人が果たせ
今、地獄界の増大と、地上世界における、生きている人たちの心のあり方の、悪の蔓延に、たいへん心配を重ねています。
どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、
「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、
実に、この世的に足場を置いている者にとっては、
分かりにくいことではあろうけれども、
「この世で目が見えている者が実は見えていなくて、
この世のものでないものが見えている者が、
本当に目が見えている者である」という、
逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。
すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。
この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにあるものです。
ですから、この世の苦しみや悲しみを、
そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。
経験は経験――。
数多くの書籍群が、この内容を補っているものだと思います。
しかし、そこから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、
忘れないでいただきたいと思います。
これから、真実への戦いの時代に入っていきます。
まだまだ、私の思いとはるかにかけ離れた現実が維持されております。
どこまで我慢ができるかは分かりませんけれども、
ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。
今、危機のなかを走っているのだということを、
知っていただきたいと思います。皆、
本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものは尊くないものとして、
見分けて生きていくことを望みたいと思います。
「救世主からのメッセージ」として私から発せられることは、以上になります。
 
どうか、この真意を汲み取っていただきたいと思います。
どうか、「一人ひとりの心を救う」という、そういう大きな使命を、
各人が果たしてくださることを、心より祈念してやみません。



Photo:大聖堂イメージ(写真は一部加工しています。あくまでもイメージであり建設候補地として決定した場所ではありません。イメージ制作中の一部を掲載しています。)