各国・各機関の皆様へ感謝を込めて 2

今朝のワルシャワの空はとっても優しい色合いでした。霊界でも地上でも、多くの方が地球を守ろうとあたたかい想いを向けてくださっているような気がして、嬉しく思いました。心から感謝いたします。
前回霊界のインスピレーションについて触れさせていただきましたが、大聖堂のデザインにも、そうしたエネルギーをいただいていると思います。当初はもっと直線的なデザインを予定していました。しかし、まだ、絶対的にこれでなければいけない。という感じはしていませんでした。
それで、スクールの受講生の方に声をかけ、アルバイトをしていただきました。これまで、スクールのデザイナーコースでは、オートクチュールのデザインやセルフブランディング・企画やプレゼンテーションをしていく内容でした。→school   今後はもっと聖堂の内部やインテリアなどのデザインもしていきたいと考えています。どちらかというと、本質的なユニバーサルデザインの考え方を学び、各分野に応用できるベースを磨いていただくレッスンにしていきたいと考えています。
受講生の方が聖堂のデザインに興味があると言ってくれたので、大聖堂のコンセプトなどを伝え、自由に描いてみてほしいとお願いしてみました。オンラインで1・2時間取り組んでいただきました。日本と離れたアゼルバイジャンにいた私は何をしていたかというと、その人が「霊界の最良のインスピレーションを受け取り、素晴らしいデザインができますように。」と祈っていました。
もちろんそれは本人には伝えていません。私がそのインスピレーションを受け取り、デザインしても良いのですが、地球の大聖堂をより多くの想いを共有できる人と創り上げていきたいという気持ちがありました。そして、「やってみたい」と言ってくれた方にとっても、一つの達成感をつかんでいただきたかったのです。
この時に提案された中にあったのが、今の曲線的な聖堂のシルエットです。細部のデザイン自体は更に素材や機能に合わせて詰めていきましたが、ファッションで言うとXラインやAラインと言ったシルエットライン。それを見事に見い出してくれました。それはインスピレーションだけでなく、本人の自己発揮の力でもあったかもしてません。しかし、「その人にお願いしてみよう。」と何となく思ったのも、いただいたインスピレーションだったかもしれません。改めて目に見えない霊界と共に共存している、立体的な世界の奥深さと透明性を感じさせていただきました。
この霊的な感覚が最も研ぎ澄まされると感じたのが反省です。数週間前に、ナイフで手を切ってしまった事で、反省した事を以前に書きましたが、その時を境により一体感が強まっていると思います。周囲から、どんなに完璧に生きているように見える人でも、何らかの失敗や後悔などは少しはあるのではないかと思います。
ましてや戦地では同じ人間を殺さなければならない状況です。米国の退役軍人のPTSD(自殺者数)は、戦死者の4倍以上と言われています。人を殺して罪悪感に苛まれるのは、正常なことかもしれません。あるいは自分にその意思がなくても、そうせざるを得ない場合もあるでしょう。そんな時にも反省していただく事で、罪の意識から解放されます。どうか1人でも多くの方が、失敗や罪悪感から解放されてほしいと願います。
この世界では、たとえ罪が問われなくても、死んだ時には隅々まで全て見通されており、神の判定は1ミリの間違いもなく下されます。死んでから償う場合は、何倍もの苦しみを背負わなければならなくなります。しかし、この世界にいる間に、心から反省することは、何倍もの効果があり、実際に許されます。
どこまで反省したら許されるか?というのは、その内容によって違うかもしれません。しかし、一つのバロメーターは、自らの行為や想い、言葉などを心から反省していくと、心が解放され、許されたことの感謝で、心が一杯に溢れてきます。そうすると、その失敗や過ちに見えていたものが、自分の魂を磨くための、貴重な人生の教材だったということも実感します。無駄なことは何もないというのは真実であるでしょう。

大きな過ちを犯していない人でも、些細なことで他人や自分に対し、苛立ったり、否定的な想いが出てしまうことはあるでしょう。他の人も自分も、たとえどんな姿を見せたとしても、最高のその人にしかない個性の輝き、美しさを秘めた神の生命の一部なのだ。という真実を、この様々な事が起きる現実世界の中で、どれほど信じ続けることができるか。
それが私たちが生まれてきて様々な人生を通じて繰り返しいる“魂の修行“でもあります。なので、こんな自分。あんな人。などと自分や他人を見てしまう心も反省していくと、より真理に近づき心の透明度が増します。そうすると、何もなくても幸せ。というような内側から幸福感が溢れるようになってきます。
更にもっともっと前向きな反省もあります。自分はもっと人に優しくできたのではないか?とか、あの仕事はもっと優れたものにできたのではないか?もっと多くの人に喜んでもらえるにはどうしたら良かったのだろう。というような積極的な反省もあります。
どの反省にも共通するのは、反省によって心が洗われ、霊的な感覚がより研ぎ澄まされるということです。嫌な自分や嫌なことを思い出すというよりは、その奥にある本当の輝きを心で深く確信していくことです。その心の輝きは、その人の纏うオーラのようになって、外見の美しさとは違った透明感を与えてくれます。

大聖堂は、その空間に佇んだだけで、神に愛されている幸福感に満ちる場所です。その愛の中に包まれて、自然に反省する気持ちが湧いてきて、本当の自他の輝きを再確認することができる。そんな心のオアシスにしていきたいと思います。心の中から霊的な美しさが溢れ、新たな未来を想像していく。神が人間に与えた最高の人生がより多く花開いていくことを願っています。そしてこのプロジェクトを直接的、あるいは間接的に応援くださる皆様に、心から感謝申し上げます。